浦安市生涯学習情報提供システム「まなびねっとURAYASU」団体活動紹介歴史(郷土史) 四国の城(宇和島城、松山城、丸亀城、高松城他)を訪ねて

 四国の城(宇和島城、松山城、丸亀城、高松城他)を訪ねて

公開日:2022年11月18日 最終更新日:2023年12月04日
登録元:「歴史ロマンの会

事前に4回にわたり座学をした後、2022年11月16日から2泊3日の日程で探訪旅行を行いました。新型コロナ感染拡大の影響で開催が延び延びになっていたものです。

講師の藤井先生の詳細な説明を受けながら、四国の城のうち瀬戸内海側の8つの城郭を巡りました。


宇和島城

現存12天守の一つ。宇和島湾の奥の独立した山を用い築城した海城。現在の天守は、宇和島伊達家2代藩主の宗利が寛文6年ごろに建築(3層3階)。

大洲城

肱川に接する独立丘を占拠している城。藤堂高虎その他が築城。平成16年に天守の復元工事が完成(木製4層4階)。小天守など5棟の遺構が残る。

湯築城

伊予国守護河野氏が南北朝期から戦国期まで250年にわたり居城した城跡。天守のない、松山平野の中央に建つ平山城。貴重な遺構が残存している。

松山城

現存12天守の一つ。慶長7年から家康の命で、水軍を持つ加藤嘉明が築城(3層3階地下1階)。比高約100m強の独立山の山頂に主郭部があり多くの遺構が残る山城。

今治城

城は藤堂高虎を軸に据え、西国大名達の助力による天下普請で慶長13年にほぼ完成した海城。5層6階の現在の天守は昭和に再建されたもの。

丸亀城

現存12天守の一つ。比高60mの山を石垣で固めた平山城。江戸中期以降は名門京極氏の居城。日本一小さい天守(3層3階)石垣の名城として知られる。

屋島城

古代律令国家時代の城。源平期にも利用され、幕末期の台場遺跡も残る。行宮跡は、源平合戦時の安徳天皇の行在所。

高松城

瀬戸内の水軍の城。天正16年に生駒親正が築城、その後松平頼重が入城した。幕府水軍の前衛拠点。古写真と調査によると天守は3層4階地下1階構造。(復元可能、今後の復元に期待)

栗林公園

最高の日本庭園。日本三大庭園を越えたとの評価もある。特別名勝の文化財庭園の中で最大の広さを持つ回遊式大名庭園

 

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