浦安市生涯学習情報提供システム「まなびねっとURAYASU」団体活動紹介歴史(一般)武州松山城視察旅行 (2025年6月4日)

武州松山城視察旅行 (2025年6月4日)

公開日:2025年06月22日 最終更新日:2025年06月23日
登録元:「歴史ロマンの会

 今回は梅雨時のこともあり当日の雨を心配しましたが、夜には雨が上がり晴れた暑い日となりました。

通常は朝早くから活動するのですが、朝のラッシュアワーを避けるため集合時間を遅くして、昼食を一緒にいただいた後に視察旅行を始めました。

 

 武州松山城は北武蔵地方屈指の平山城で、戦国時代には上杉氏、武田氏、北条氏などが激しい攻防戦を繰り広げた名城です。

武州松山城の周辺は、市野川が形成した広大な低湿地帯に囲まれ、北側と西側は断崖絶壁になっています。

曲輪構成は、西から東に向かって本曲輪・ニノ曲輪・三ノ曲輪・曲輪四が並び、それらを取り囲みながら大小様々な腰曲輪や空堀と切り落とし・竪堀が張り巡らされています。

 

 城址は整備が進んでおらず雑草が生い茂り、一部案内看板の内容も疑問が残るもので、記念碑も倒れたままの状況でしたが、藤井先生を先頭に戦国当時の兵さながらに一列に並び進んで行きました。

防虫スプレーと消炎薬の用意、服装と靴の工夫を事前に促していたので、前日の雨の影響で足元は滑りやすく、藪蚊の攻撃を受けつつも、無事に城の縄張りを体感しました。

 

 北の虎口より出て、第二次世界大戦中に飛行機部品工場に利用された穴の入り口を見ながら、次の見学地の吉見百穴に移動しました。

武州松山城には穴が多く、武田の金堀りが攻めた跡ではないかと言われています。

 吉見百穴にも横穴が多くありますが、地質も時代も違います。

古墳時代の後期〜終末期(6世紀末〜7世紀後半)に造られた横穴墓で、凝灰質砂岩を掘削した穴に遺体を埋葬し、現在219基が確認されています。

 

 現地集合・現地解散としていますので、東松山駅にて視察旅行終了後解散としましたが、箭弓稲荷神社へ参拝後、希望者で懇親会を開催し、東松山名物の焼き鳥を堪能しました。

 

 

日時:令和7年6月4日(水)11:20〜16:00

集合場所:東武東上線 東松山駅改札口

行程:「ピッツア ベル トゥッティ」で昼食〜駅前から路線バスに乗車、武蔵丘短大前下車〜武州松山城を視察

    〜吉見百穴を見学〜百穴入り口から路線バスに乗車、東松山駅東口下車後解散〜箭弓稲荷神社を参拝

 

2025.6.4武州松山城集合写真のコピー

1本曲輪にて説明を聞く(1413)のコピー

2二の曲輪へ薮を進む1449のコピー

5虎口付近(1507)のコピー

6,吉見百穴で階段を登る61562

城縄張り図

 

添付写真は、

・吉見百穴で集合写真

・本曲輪にて説明を聞く

・ニノ曲輪へ薮を進む

・虎口付近

・吉見百穴で階段を登る

・城縄張り案内図

この情報は、「歴史ロマンの会」により登録されました。

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